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 11.01.22 中東の嫌われ者

ベツレヘム パレスチナの分断壁

おいネビーーッレ、追加料金はいくらだ。 え? お前ぼったくるつもりなんだろう。 明らかに最初の200NISでは済まないよな!?

などと言いたい事の3分の1の純情な感情も伝えきれずにネビーーッレを引き続きガン付け続ける。
唯一言えたのは、「おい、追加料金はいくら支払わなければならないのか?」くらいであるが、俺の中ではそれだけ言えたのでたいしたものだ。
その問いにネビーーッレはこう返す。
「あはは~one thousand millionだよ~(笑」

(笑)じゃねーよ!!
それを聞いて俺の脳内ではすぐにいくらか変換できなかったが、今これを書きながら額を調べてみたら10億である。
これは10億円の話ではなく10億ドルの事なので、計算すると77,240,000,512で、もっと分かりやすく書くと約770億円である。

まぁそれはすぐにジョークである事は分かったが、追加料金を払わなければならないのはジョークではない。
そしてその額がぼったくり価格である事も、きっとジョークではないだろう。
くっそ! くっそ!! 俺はこいつの言いなりになるしかないのか。
おさえきれないこの気持ち、今、涙ぐみそうだぜ。

「じゃぁ次はApartheid Wallに行くよ~♪」などと言って、軽快に車を走らせる。
ま、まぁ壁に言ってくれるならとりあえず文句は無いかな・・・などと思ってしまう。

ミルク・グロットからしばらく車は高原を下って走る。
そして別の市街地に入ると細い路地をクネクネ行く。

ところでずっと思っていたのだが、ネビーーッレの運転は客に対してとても気を使っている。
パレスチナは途上国で、安定して裕福な地域とはも決していえない。
その為インフラも満足に整っていない場所が多く、道路もデコボコしていたり段差があったりする箇所がかなり多い。
そういう箇所に出くわすと、ネビーーッレは必ず徐行する。
決して客に不快感や居心地の悪さを与えないようにしている。
さらにはネビーーッレは俺を気遣ってずっと喋りっぱなしだ。

分断壁が見えた。
それは何の変哲も無い貧民街の中にあった。

車は壁沿いにしばらく走ると停車し、「ここから上はずっと壁が続いてるから見ておいで」とネビーーッレは言った。
その時俺はその言葉を気にも留めなかったが、ネビーーッレはどういう思いだったのであろうか。
分断壁の例を挙げるなら、日本はアメリカに占領されました。
明日から西日本はアメリカ領土です。
これから数年かけて静岡、岐阜、石川県の県境に数百キロある壁を作るので、東日本の人間は西に許可なく行くと射殺します。
と言われてるようなもんだ。

パレスチナの人間がイスラエルに赴くには国境ゲートで身分証を提示し、目的を告げ、金属検査を受けて許可される。
元は別の国なわけだからそれでもいいのかもしれないが、現実にはパレスチナ人の方が明らかに迫害されている。
こりゃぁ紛争も耐えないわけだ。

分断壁はイスラエルが問答無用で建設し、それを無理に越えようとすると容赦なく銃弾が飛んで来る。
イスラエル側は軍事にものを言わせ、パレスチナ人の住居を戦車で容赦なく轢き倒し、焼き尽くす。
ただしパレスチナ人も黙ってはいない。
軍事力も資金力も乏しいパレスチナ側は、爆弾という手段で応戦する。
民間人が爆弾を抱えて。

一概にどっちが正しいとは言えない。
俺からすればどっちも愚かだ。
やはり戦争の根底は宗教にあり、領土問題や資源問題などの原因で起こる戦争など3割にも満たないというのは納得できる。

もちろんキリストが戦争を望んでるはずはないだろうが、一部の愚かな子孫のせいでキリスト生誕から2000年以上経った今でも争いをしているなどとは、キリストも夢にも思わないだろう。
さらにここにはユダヤ教やイスラム教もひしめき合い、どの宗教も自分達に言わせれば「聖地」なわけだ。
その宗教の教祖達は、はたして殺しあえと言っていたのだろうか。

というのは、帰国してから冷静に考えて出た俺の意見で、実際は壁が見れる事に対してヒャッホウな気分だった。
これに関しては愚者は俺で、ネビーーッレの方がさすがに割り切れていたんだと思う。

そこには様々なサイトで見た写真の光景が広がっていた。

Apartheid Wall Apartheid Wall

この白い板のようなペインティングの絵、クワガタのような絵、イスラエル兵に連行されるパレスチナ人の絵。

Apartheid Wall Apartheid Wall

エスカレーターで自由に出入りするパレスチナ人の絵。
そのエスカレーターらしきもののしたの部分には「平和」と感じで書いてあり、その隣には「全ての人に夢を掴むチャンスを!」と日本語で書かれている。
間違いなく日本人が書いたものであろう。(俺はこの言葉を偽善だと思うが。)

Apartheid Wall Apartheid Wall

長い猫のような絵、2人の人間の絵。

Apartheid Wall Apartheid Wall

そしてパレスチナの国旗など。
ちなみに以下恒例のWikiコピペ。

分離壁は堀・有刺鉄線・電気フェンス・幅60~100mの警備道路からなる部分と、コンクリート壁の部分で構成されている[1]。2006年4月の時点では、総延長703kmのうち408kmが建設済み、63kmが建設中、残り232kmは未着工である[2]。

イスラエル政府は分離壁の建設を自爆テロ防止のためと説明している。一方、分離壁のルートは入植地を囲むためにグリーンライン (1949年停戦ライン) より内側に入り込んでおり、入植地を恒久的な領土とするための既成事実化を目論んでいるとも言われている。さらに、分離壁そのものがパレスチナ人の生活を分断して大きな影響を与えていることから、分離壁の建設は国際的に非難されており、国連総会でも建設に対する非難決議がなされている[3]。

2005年8月、イギリスの芸術家であるバンクシーがこの分離壁を訪れ、9枚の壁画を残していった。彼はこの壁画を製作中にイスラエル兵に何度も銃を向けられたが、それでも彼は絵を全て完成させた。

これはベルリンの壁などとは全く違う。
ベルリンの壁は東西ベルリン市内を分断しただけで、総距離でも155km程と書いてあるが、パレスチナ国ごと分断してあるので規模が違う。

それでも、どこの国でもやはり子供は可愛い。
壁を見ながらブラブラ歩いていると、遠くの方で子供が数人遊んでいた。
最初はズームで撮っていた。
しかしすぐ気付かれ、多くの子供たちがわらわらと寄ってきた。

女の子ばっかり。
何を撮ってるの? 見せて!
子供たちは次々にポーズを撮る。
撮って! 撮って! と言う。
そしてその写真を見たがる。
本当にみんな可愛すぎる。

Apartheid Wall Apartheid Wall

そしてこの子達がイスラエルの旧市街にいる擦れた子供たちと決定的に違うところは、純粋にカメラで写してほしいというところ。
そして撮った写真を見てみたいというだけ。
金をくれなどとは決して言ってこない。
場所柄的には旅行者はそんなに珍しい地域ではないと思うが、純粋に写真に写りたいし、デジカメならすぐに見てみたいだけなのだ。

以前5日目 - 旧市街:聖墳墓教会で書いたクソガキや、後ほど書く写真を撮ろうとすると1NISを要求してくるクソガキとは全く違う。
あー癒された。 誰か俺んちに来いよ!

数日前にテルアビブで会ったノアちゃんが将来パレスチナ人を虐殺するような兵士になるとは思えないが、この子供たちがイスラエル兵に殺されるとも思いたくない。
この子供たちも、生まれた場所が数十キロ違ったためにこれからの将来で酷い扱いを受ける事が多々あると思う。
下手したら強姦されたり命を落とすかもしれない。
この子供たちは本人の意思でこの地に生まれたわけではない。
今は目の前の壁の意味をわかってなくても10年後もまだこの壁があったら、成長した彼女たちはそれを見て何を思うのだろうか。
運命を呪うしかないのだろうか。
イスラエルの旧市街内にいた子供なら、旅行者を見れば金を毟るような子供だったので、俺でも余裕でビンタくらいはできちゃうくらいの奴らだった。
しかし今ここに写っている子供には、手を上げなければならない理由が見つからない。

所詮俺は無力な1人の旅行者だ。
しかし10年後も彼女達には笑って生きていてもらいたい。
それには祈るしかない。
願うしかない。

この地に来て何が正義なのか、全く分からなくなった。

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