地図も何も持ってないのでどこへ向かってるのか、どこに辿り着くのかさっぱり分からないまま適当に歩き続けた。
両側の商店の親父共は俺を見かけると声を掛けてくる。
「チャイニーズ?」 「コリアン?」 「ジャパニーズ?」
最初はいちいち「ジャパニーズ!」と返事をしていたがやがてはそれも面倒になり、「ジャパニーズ?」と声を掛けてきた時だけ「サムライ!」と返事するようになっていた。
第一声が「チャイニーズ?」や「コリアン?」と言われると返事をする気も無い。
しかし中には通り過ぎる俺に向かって、「コンニチハ、元気デスカ? サヨウナラ。」と言ってきた親父もいた。
そんな奴には「こんにちは、元気ですよ。 さようなら。」と、歩きながら返事をする。
しばらく歩いていると騒がしい商店の通りはいつの間にか貧民街に変わっていた。
そして狭い路地でサッカーをして遊んでいる子供数人を発見。
ボロボロのボールを蹴って、身なりも貧相な格好をしている。
しかしとても人懐っこく、気がつくといつの間にか俺も一緒になってボールを蹴っていた。
10分、15分くらい一緒になって遊んでいただろうか。
蹴っていたボールは空気が抜け切っていて全く弾まず、それをサッカーボールと呼ぶにはあまりにも現物とかけ離れていた。
しかしそれでも子供は楽しそうに遊んでいる。
やがてその場を離れようとすると、「どこへ行くの?」と聞いてきた。
「教会だよ。」と答えると、「案内してあげる、こっちだよ! 早く!」と言いながら2人の子供が先に立って走り出した。
おぉ、これは助かるわ。 地図も何も持ってないからいつまで経っても辿り着けないとこだったぜ。
サッカーをしていた場所から歩く事数分、イエスが没した聖墳墓教会へ到着した。
「ギブミーマネー」
ああ、そういう事だったのか。
まぁ自力では辿り着けなかっただろうからお駄賃をあげるのは惜しくはないが、それはガキの教育上よくないのではないだろうか。
いや、それよりこいつらは観光客を案内する事で日銭を稼いでいるのだろうか。
「おい、お前らいくらほしいんだ?」と問うと「10NIS(約230円)」と言ってきた。 生意気な。
そして小銭を取り出し、「お前ら2人で10NISだ。いいだろ?」と言ったら素直に納得した。
この聖墳墓教会は旧市街の中でも最たる重要物件で、イエスが死んだ場所、そして3日後に復活したとされている場所である。
↑の写真の1枚目は聖墳墓教会の入り口。
そして入るとすぐに、イエスの死体が埋葬のために安置されていたとされる石物がある。
熱心な信者達はそれはもう大変な事になっていて、石物に泣きながらキスをしたり祈りを捧げたりしている。
それを見て、「いやぁ・・・俺は無神論者で心底よかったわ・・・。」と思いながら写真を撮った。
奥へ進むと壁も天井もキリスト一色になっていって、その一つ一つがとても荘厳華麗であり幻想的な雰囲気を醸し出している。
壁画から燭台一つにいたるまでとても細かい細工が施されている。
この場所の多くの一つ一つ物が何を意味するものか分からないし、俺にとっては何の意味も成さないものばかりだ。
しかしたくさんの派生があるとはいえ、世界の数十%の人間が信仰する宗教であり、西暦の起源にもなっているのでそれなりの歴史もある。
自分自身キリスト教から新興宗教まで含めた全宗教に全く興味は無いが、少なくても創価学会や統一教会のような胡散臭い新興宗教よりは、何倍も自分の人生の糧になる気がする。
それより驚くのはキリストの懐の深さ。
普通ならこんな重要物件では写真撮影厳禁で入場料でも取られてもおかしくないくらいだが、ここでは全くと言っていいほど規制がない。
フラッシュ炊きまくりでみんなガンガン写真を撮ってるし、信者達も全員が涙を流して祈りを捧げているわけではない。
おそらく俺のようにキリスト教じゃない人達が興味本位の観光で来ている人間も相当多いはずだ。
それと、信仰の深さも人それぞれなのだと思う。
そしてここで恒例のwikiコピペ。
聖墳墓教会(せいふんぼきょうかい)とは、エルサレム旧市街(東エルサレム)にあるキリストの墓とされる場所に建つ教会。ゴルゴタの丘はこの場所にあったとされる。
正教会では復活教会(ギリシャ語Anastasis、アラビア語كنيسة القيامة(Kanīsa al-Qiyāma))とも称されている。ギリシャ正教系の正教会、アルメニア使徒教会等においてはエルサレム総主教座聖堂であり、中東地域の教会行政の中心でもある。
そして聖墳墓教会の最大重要な場所、イエスが葬られたとされる場所。
ここでは多くの人たちが列を作って並んでいた。
そして俺もその列に加わった。
↑の1枚目はその内部に入る為に順番待ちをしている人達と、その外観。
ここでは人物を避けて写真を撮るのはまず不可能。 そして一番神聖な場所。
2枚目はその内部。
よく分からないが「すごいところに来た!」と思った。
さすがにここに入る時は少し興奮したが、キリスト教でもユダヤ教でも、ましてやイスラム教でもなく、ついでに言えば仏教徒でも神道でもない俺がここへ入ってもいいのか・・・? という感じはした。
ここに来ている人達にはみんなそれぞれに神がいて、信仰の深さは様々だろうがそれを信仰している。
俺が神に祈るのは腹痛の時だけなので、とても罰当たりな人間な気がした。
内部は数人しか入れないのでもちろん他人と入る事になるのだが、中の狭い祭壇の前では全員が跪いて祈ったり泣いたりしている。
さすがに突っ立っているだけではとても浮いてしまうし周りの目が痛いので、俺も格好だけは跪いたが、俺が祈るといつの間にか願い事になっているだけなので、チラチラと周りの人間を観察していた。
ちなみにこの内部だけは撮影禁止だった。
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