聖墳墓教会を後にする。
そしてまたフラフラと歩き出したが、地図も何も無いのでどこに向かって歩いているのか分からない。
細い路地の階段を上ったり下ったり、右に曲がったり左に曲がったり、いつの間にか門をくぐって外に出ていたり、そしてまた中に戻ったり、文字通り迷路の街中を当ても無く歩き続けた。
歩いているうちにも陽はどんどん沈んできた。
気がつくと進行方向先はなんだかゲートのようなものがあって人が立っている。
よく見るとそれは警官で、そのゲートは金属探知ゲートだった。
という事は、ここから先に嘆きの壁があるという事だ!
ゲートを通過して奥に進むと、吹き通しの広場に出た。
俺が入った入り口から嘆きの壁はちょうど左側にあり、右側の大階段からは別の道が続いている。
第一印象は寒い!!
だだっ広い広場なので冬の風がどんどん吹き抜けていく。 と言っても、日本の冬のように凍てつく風ではないけど。
思ったほど大きくないな。 というのが正直な感想だった。
それより、この広場は世界中のユダヤ教徒の聖地になっている為、多くのユダヤ人が嘆きに来ている。
ユダヤ人だけではなく、観光客や兵士の数もかなり多いので、それほど広くない広場は大混雑している。
さすがにイスラエルの事を詳しく知らない人もでも、「嘆きの壁」くらいは知ってると思う。
ではここで恒例のwikiコピペを。
嘆きの壁の全長は約1,600 フィート (488 m)に及ぶが、一般には神殿の丘の西側外壁のうち地上に見えている幅約187 フィート (57 m)の部分のみを指す。この部分は広場に面しており、壁の前が礼拝の場所になっている。これ以外に壁を外から見ることができるのは南側の約80mと、神殿の丘のIron Gateの近くにあるLittle Western Wallと呼ばれる部分であり、それ以外の壁は居住用の建物に隠れている。
神殿の丘にあたる場所は元は自然の高台であり、紀元前10世紀頃からすでにこの上に神殿(エルサレム神殿)が建てられていた。これが紀元前19年頃になってヘロデ大王によって大幅に拡張された。これが現在の神殿の丘であり、その西側の土留壁が現在の嘆きの壁である。
広場の前における壁の高さは約19m。地下に埋まっている部分も含めると32m。積み上げられた石は地上28段、地下17段の計45段。
ちなみに壁の左側は男性用で右側が女性用になっている。
嘆きの壁で嘆くのは別にユダヤ教徒だけじゃない。
俺のように無宗教者でも嘆きの壁に触れる事ができる。
しかしそれにはユダヤ教徒がかぶるキッパと呼ばれる小さな帽子をかぶらなければならない。
キッパは壁の入り口にたくさん置いてあるので(おそらくはほとんどが観光客用。 一般のユダヤ教徒は常にキッパをかぶっている為。)、俺もキッパを頭に乗せて壁に近づく事にした。
それにしてもユダヤ教といいキリスト教といい、本当に懐が深い宗教だと思う。(後述するが、イスラム教の懐の狭さにはガッカリ。)
いやーこれはテンション上がるぜ。
まずは遠巻きに写真を撮りながら、更に近づいてみる。
祈ってるのはユダヤ教徒だが、多分観光客の方が多い。
個人で来ている観光客もいれば、団体ツアーで来ている華人の集団もいた。
そして俺も壁に触ってみた。
壁の岩はツルツルしていた。
壁の岩と岩の隙間にはたくさんの紙が詰められていた。 多分聖書かなんかだと思う。
よーし、俺も記念に嘆いちゃうぞ!
見様見真似で周りのユダヤ教徒のように両手を壁に付け、頭を垂れて嘆き始めてみた。
ムニャムニャムニャ・・・
不思議だ・・・俺のような善良な人間でも、この壁の前にいるとどんどん嘆く事が浮かんでくる。
いや、よく考えると嘆きより反省に近いか・・・?
嘆きと反省は違うのか? 違うか。
2、3分嘆いて(反省して)いると、それはいつの間にか「無事に帰国できますように・・・」「結婚したい」「転勤したい・・・できれば前の職場に戻りたい・・・」なーんて願い事に変わっていた。
まぁ似たようなもんだろ。 頼むぜ壁! 俺の嘆きを叶えてくれ。
広場には壇があって、何か催し物をやるような感じだった。
日も暮れるにつれて人の数も多くなり、そして寒さも増してきた。
何のイベントが始まるのかしばらく待っていたが、身体が冷え切ってしまったので嘆きの壁を後にした。 |