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 13.05.05 微笑みの寺

夜のゴキブリ駆除

さぁ列車に乗り込むぞ!
チケットに書いてある車両番号を確認し、ワクワクしながら列車に乗り込む。
そして自分の座席を探し出して席に着いた。
目の前には愛想の無い中国人のババアが座っていた。

北本線(きたほんせん、タイ語:รายชื่อสถานีรถไฟ สายเหนือ)は、タイ王国の鉄道でありクルンテープ駅(バンコク)とチェンマイ駅間(751.42km)を結ぶ鉄道路線である。登記上の正式名称はクルンテープ=チェンマイ線という。
751km、これは日本で言うと東京-岡山より20km程長い距離である。
新幹線であれば3時間半弱で到着できるこの距離を、ディーゼルエンジンの列車で一晩かけて移動する。
その間の駅数は222駅にも上るが、寝台特急という事もあり停車駅はその10分の1にも満たない。

車内の様子 車内の様子

車内はこんな感じになっていて、最初から寝台になっているわけではない。
座席を倒して寝台になるのは19:00以降と決まっているらしく、それまでは普通のボックスシートとなっている。

ババアは俺が座る座席に足を伸ばして座っていた。
座席を発見した俺が来たのに足をどける様子が無いので、「失礼しますよ」と紳士的に声を掛けたら、何も言わずに足をどけた。
まだよ、耐えなさい、俺。 怒ってはダメ。 せっかく楽しい旅なのだから。

車内ではジュースやフルーツの車内販売が時折回ってくる。
冷えてないジュースにフルーツ・・・とても食べたいとは思わないが、こういうのも外国の情緒があっていい。

列車に乗り込み待つ事数十分、特に車内アナウンスも無く列車はゆっくりと動き出した。
車窓を眺めながら写真を撮る。
しかしその長大なHua Lamphong駅を抜けるのに何分かかっただろうか。
動いてはいるがとても遅く、そして時折止まるのだ。

陽はかなり西に傾いて、出発予定時刻はかなり過ぎている。
↑の動画も駅を抜けるシーンを撮ろうと思ったのだが、2分撮影しても抜ける様子は無く、それどころか停車してしまった。

最初に動き始めてから数十分経った頃だろうか、いつまで経っても普通の列車並みに走れない事に業を煮やして撮影などやめていたら、いつの間にか軽快に市街地を走っていた。
ここはまだバンコク市内だが、市街地というよりは汚い路地裏。
昨日のメークロン線と同じような雰囲気の場所を走っている。

残念ながら駅を抜けるシーンを撮影する事はできなかったが、ようやくチェンマイに向けて走り出した事にホッとした。
走り出してから1時間くらい経った頃だろうか、俺の前に座っている愛想の無いババアの仲間らしきおっさんがやってきて、ババアの横に座った。
そこまではいい。 そこまではいいのだが、その後が問題だった。

こともあろうか、そのおっさんはボックスシートの目の前の座席には俺が座っているのに俺の座席に足を伸ばしてきたのだ。
この常識の無さに俺の怒りは頂点に。(中国人に日本の常識を求めるのには無理があるが。)
足を俺の席に置いた事に対し、そのクソジジイに強い口調で「No! No! No!」と連発した。

すると中国クソジジイは片足だけをどけた。
だがまだもう片方の足が俺の席に残っているので、ドスを利かせた日本語で「ぶっ殺すぞこの野郎」と言い、乗っている足を払った。
完全に頭にきて殴り合い覚悟だ。 負けねーぞコラ。 あぁ?

すると中国クソジジイは分かった分かったとうなずきながら足をどけた。
それから5分くらいすると中国クソジジイは自分の席に戻っていった。
このクソジジイにも、ついでに最初からいる無愛想ババアにもいい牽制になった事だ。

ちなみに俺が怒鳴ってから中国ジジイが席に戻るまでの間、ジジイはずっと鼻くそをほじくっていて、時折通路に自分の鼻くそを飛ばして捨てていた。
何て不潔で低俗な民族なんだ。 怒りを通り越して呆れた。
やはり中国人には金と文明など持たせるものではない。
サルはサルのままサルらしく電気も無いがけっぷちで細々と生きていればいいんだ。
今よりも万里の長城を作った明の時代の方がよっぽど高文明だ。

中国クソジジイがいなくなってから10分もすると、無愛想ババアもクソジジイとその仲間達のいる席へと移っていった。
おぉ、ラッキー。 これで心置きなく旅ができる。
どうやら奴らは十数人で旅行に来ているらしく、運悪く無愛想ババアは俺と一緒の席があてがわれたというわけだ。
恐らく奇数人数なのだろう。

しばらくすると中国クソジジイが車掌に何か言っている。
どうやらクソジジイはシートをベッドにして欲しいらしい。
終始中国語の身振り手振り、そして車掌は発音の悪い英語で「19:00からだ!」を連発しているが、そんな簡単な英語も中国クソジジイは理解できないようだ。
そんな頭脳レベルで海外なんか旅行に来るんじゃねーよ。

陽はいつの間にか完全に落ちて、車窓には闇と寂しい数の街灯が映った。
気が付くと19:50、車掌が寝台の準備を始めていた。
もちろん寝台は下段、これはアメリカ、モロッコで学んだ知恵だ。 飛行機での通路側を選ぶのと同じ理論。

車内の様子 車内の様子

寝台はなかなか快適だった。
それもそのはず、これを書いている今調べたところによると、この車両は西日本旅客鉄道(JR西日本)より譲渡された24系客車列車で運用されるとWikipediaに書いてあった。
つまり日本のブルートレインだったわけだ。 やはり最高日本製。
そして寝台の下段には窓がある。
流れ行く景色をいつまでも眺めてられるのだ。

寝台が完成してからは寝そべりながら日記を書いた。
しばらく書いているとウトウトし始めたので軽くDSを始めてから眠りに着いた。

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