橋の前は広場になっていて大勢の人と露天で大変賑わっていた。
まずは遠目から橋の全体が写るように撮影する。
そして橋に近づくにつれ、その多くの観光客の人種は6~7割が中国人だという事が判明した。
どこにでも出没するゴキブリ民族の中国人。
地球上で彼らがいない地域は無いだろうというくらい、全世界にはびこっている。
こいつらが全員いなくなれば、地球の人口の4分の1は減って自然環境もだいぶ回復するというのに・・・。
耳に入ってくる言語、発音、目に映る顔、服装、性格、その全てが癇に障るが、ゴキブリ以下の大便大好き下朝鮮人よりは少ーしだけマシか。
橋を歩きながら写真を撮る。
川に架かる鉄橋と線路に心を弾ませながら、橋を渡る。
ではここで恒例のWikiコピペ。
クウェー川鉄橋(クウェーがわてっきょう)とは、タイ西部、カンチャナプリ市西方5キロにあるクウェー・ヤイ川(大クウェー川)に架けられた鉄道橋。クワイ川鉄橋と表記されることがある。日本軍の名称ではメクロン河永久橋(めくろんがわえいきゅうばし)。
泰緬鉄道は太平洋戦争開戦前から建設が考えられており、1942年春の旧日本軍によるビルマ占領を契機として正式に着工された。ビルマ側、タイ側の双方から建設が進められたが、全工程で一番難工事とされていたのが、クウェー・ヤイ川に架ける永久橋の建設とその前後のルートであった。橋梁建設には大量の連合軍捕虜や労務者も投入されたが、設計など建設の主体となったのは鉄道第九連隊第三大隊第五中隊だった。主だった部分はジャワ島などから移設されることとなったが、クウェー・ヤイ川の急流のために建設は難航。そこで、永久橋完成までの間に使う資材運搬用の橋梁として、永久橋の下流に木製の橋梁が急遽架けられる事となった。木橋は1942年12月には完成し、次いで永久橋も1943年5月には完成した。泰緬鉄道の全通は同年10月のことである。泰緬鉄道は完成を急ぐため、あらゆるところで規格が落とされたが、海上ルートが半ば途絶したビルマへの唯一の補給用ルートとして重要な鉄道となった。とはいえ、強度不足が原因による転落事故も頻発していたようである。
それにしても中国人が多い。
老若男女問わず来ている。
この線路はもちろん現役で、観光客を乗せる為のトロッコ列車も走るが、日に2本バンコク市内からちゃんとした鉄道も走っている。
俺も鉄道でカンチャナブリまで来たかったが、スケジュールの都合上諦めるしかなかった。
ちなみに、親父もここへ数回来た事あるうちの1回は列車で来たという。
なんと羨ましい。
橋の対岸には綺麗なお寺と大きな仏像が見えた。
この旅行中は何とも思わなくてタイではよく見る光景だと思っていたが(それどころか、あそこの寺はさぞかし名のある寺なのではないだろうか。 とさえ思っていたが)、実際には正反対だったようだ。
それはこの日記を書いているときに判明した。
2009年6月に鉄橋から30-70mの距離に宗教団体が高さ約18mの巨大な観音像を建設(2010年1月完成予定)しており、地元住民や環境団体「カンチャナブリ保全グループ」から歴史的景観を壊すとした建設反対運動を起こし、景観論争となった。
カメラを構えながらゴキブリ達の波をかき分け橋を渡り切ると、観光客はいなかった。
カメラは橋を渡っている途中からムービーにして撮影した。
今日一番重要だったクウェー川鉄橋を渡りきって目標を達成したので、その先を散策してみるのもいいかもしれない。
そんな事を考えながらムービーを撮っていると、遠くの方から微かに汽笛が聞こえた気がした。
目を凝らして音のした方をよーく見てみると、どうやら列車が来るらしい。
これはなんとラッキー。 戦場にかける橋を通る列車を間近でこの目で見れるとは!
列車はディーゼルエンジンの煙を吐きながらゆっくりゆっくりと近づいてくる。
そして線路を走る列車の音も次第に大きくなってくる。
カメラを回しながら線路脇の待避所に身を避ける。
やってきたのは観光客用のトロッコ列車だった。
一般の旅客車じゃなかったのは残念だが、それでも列車が通過するシーンを見れてラッキーだ。
汽笛を2度、3度鳴らしながら、列車は俺の前をゆっくりと通過していった。
これを書いている今知ったのだが、このトロッコ列車は20BTで乗れるらしい。
もし当時それを知っていたなら、時間が合えば絶対に乗ったのに!!
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