物売りを無視してチューのところに戻った。
チューは木陰で現地民と談笑しながら待っていた。
戦争博物館にいた時間はおよそ1時間弱。
チューの後ろに乗り、再びバイクで街中を走り出した。
次に向かったのは聖母マリア教会。 戦争博物館から10分ほど走ったところにあった。
チューのバイクを降りて中へ入った。
さすが元フランス領だけあって教会は素晴らしく、写真のステンドグラスもとても綺麗だが、左に写っているブルーのネオン管のマリア像は少々下品だ。 綺麗だけど。
イスラエルで腐るほど教会に行ったけど、やはり何度来てもどこの教会でも素晴らしい造り。
気持ちも自然と厳かになる気がする。
教会の前にはマリア像があり、教会をバックに写すのがメジャーな写し方。
聖母マリア教会は、中身だけでなく外観もシンメトリーで美しい。
この写真の右側には中央郵便局があり、ここら辺一帯メジャーな観光地になっている。
教会の右後方に見えるのはダイアモンドプラザという、韓国資本のデパート。
ここら辺の概観には全く相応しくない。
ちなみに俺が写っている写真は全部チューが撮ったもの。
そして次に向かったのはサイゴン川。
この教会からはたいして離れていない。
向かう途中には高級ブランド品の店が立ち並ぶエリアがあり、「ここら辺はものすごく高いから絶対買い物しちゃダメ」とチューは言っていた。
言われなくてもブランド品には興味が無いので買い物などしない。
サイゴン川の川岸はチェーンで進入禁止になっていたが、チューはそれを乗り越えた。
俺も倣って後に続く。
うーん、暑い。
チューは何か欲しい物や土産を買いたいなら市場まで行ってやると言っている。
俺はこいつを信用したわけではないので頑なに断った。
しかも今土産なんか買っても、今後の移動に邪魔になるだけだ。
そしてお次はホーチミン像。
このホーチミン像もぜひ行きたいと思ってたから助かった。
ホー・チ・ミンについての簡単なコピペ。
ホー・チ・ミン(ベトナム語: Hồ Chí Minh, 漢字: 胡 志明, 1890年5月19日 - 1969年9月2日)は、ベトナムの革命家、政治家。植民地時代からベトナム戦争まで、ベトナム革命を指導した。初代ベトナム民主共和国主席、ベトナム労働党中央委員会主席。
幼名はグエン・シン・クン(Nguyễn Sinh Cung, 阮 生恭)、成年後はグエン・タト・タイン(Nguyễn Tất Thành, 阮 必成)。第二次世界大戦までに使用していた変名のグエン・アイ・クォック(Nguyễn Ái Quốc, 阮 愛國)でも広く知られる。ベトナム人民からは『ホーおじさん(バック・ホー、Bác Hồ)』の愛称で呼ばれている。
詳細はWikiのホー・チ・ミンを参照してくれ。
ホー・チ・ミン像と人民委員会庁舎。 綺麗に撮れた1枚だと思う。
どのサイトでもこの構図で撮られている。
チューが人民委員会庁舎は「撮影禁止なんだよ」と言っていたが、こんな位置関係なんだからしょうがない。
しかもチューが撮った写真もこれと同じ構図だったし。
ホーチミン市内は公園も多いため緑も多く、ここが途上国とはとても思えない感じ。
しかしそれはあくまで建物の外観や風景の事で、道路を見れば溢れんばかりの多くのバイクが走っているので一瞬で現実に戻れる。
そしてチューはベトナムのコーヒーをぜひ味あわせたいようで、バイクでどっかの屋台へと向かった。
朝も宿でコーヒーを味わったが、それはホットコーヒーだった。
今回はアイスコーヒー。
俺が金を出そうとすると、「屋台の人間は外人だと分かると多少なりともボッてくるから俺が払う。 気にするな。」とチューは言う。
ここは素直にチューの言う事を聞いてご馳走になった。 (後が怖いけど。)
やはり・・・やはりなんと美味い事か。
綺麗な水で作ったコーヒーかとか、そんな事は全く気にならない!
まじでものすごく美味い。 ホットもいいけど、やはり暑い時にはアイスコーヒーだ!!
まぁここでチューと何を話したかは覚えていない。
覚えているとしたらオッパブの事くらいか。
チューはオッパブに行こう、とても安い、男性は皆行ったと言ってまた手帳を見せる。
あ、俺が手帳をもう一度見せてくれと言ったのかも知れない。
心は揺れていた。
もしボッたくられても所詮はベトナム値段だし。
まぁ今の手持ちの額じゃあまりにも少なすぎるので一度ホテルまで行ってもらえたら。
俺:「おい、チュー。 一度ホテルへ戻ってくれ。 そしたら金を取って来るから行ってやろう。」
チュー:「もちろんOK! どこに泊まってる?」
こうして一旦TiTi Hotelまで戻る事になった。 |