コーラの缶をポイ捨てしたネビーーッレは、丘を下ってヘロデ王の要塞を後にする。
ネビーーッレはここら辺に住んでるのだというが、周りは荒地。
車が無いと何もできないな・・・。
「さぁネビーーッレ、次はどこへ行くんだ?」
「次は教会に行くよ~。」
やっと生誕教会に行けるのか。
生誕教会に行くためにパレスチナまで来たと言っても言いすぎではない。
車はパレスチナの市内を走る。
ネビーーッレが前方を指して言った。
「あれはパレスチナの警察だよ。 だからシートベルトを締めて。」
ほぉ・・・パレスチナでもシートベルトを締めてないと減点でもあるのか?
しばらく車はパレスチナの市街地を走る。
一見するとここが紛争地帯とは思えない様子で、大人も子供も普通に出歩いていて、途上国の街には活気もある。
次第に周りは賑やかになってきて、車の走るスピードも落ち始めた。
そして到着。 降りて教会に向かう。
ネビーーッレは「ここがイエスの生まれた場所だよ。」と紹介する。
それは知っていた事だが、なんと道を挟んだすぐ目の前にはイスラム教の大きなモスクがある。
キリスト教のトレードマークは十字架で、イスラム教のモスクは月のマーク。
イスラム教のモスクにはどうせ入れないだろうと思い、キリスト教の教会へと向かった。
さっきまで晴れていた空は雲に覆われてきた。
そして教会の入り口で団体が記念撮影をしている。 本当にウザイ。
団体で見え難いが、中へ入るには小さな入り口をくぐる。
確かどっかで聞いた話によると、キリスト教徒はこの小さな入り口を使わないといけないらしい。
この1枚目の写真の左側には観光者用の大きな入り口がある。
が、俺はキリスト教徒ではないがこの入り口から入ってみた。
屈んでやっと通れるくらいの大きさしかない。
そして中から外を見ると↑のような感じ。
そしてさらにもう1つ小さな入り口をくぐると、いよいよ完全に教会の内部に突入となった。
ちなみに帰国してから知った事だが、この生誕教会は2002年にパレスチナのゲリラが1ヶ月以上も立てこもったらしい。
以下Wikiコピペ。
2002年、パレスチナ・ゲリラが立てこもり、イスラエル軍が包囲。包囲は約一ヶ月続き、その間ゲリラを匿った聖職者たちにも水などの必要物資の供給が十分でなく、国際的な問題となった。
いやー実際にそんな事あるんだな。
俺が行った時なんかそんな雰囲気など微塵も感じなかったのに。
写真を撮りながらどんどん奥へ進んで行く。
聖墳墓教会へ行った時も思ったが、こんな場所を無料開放しているイエスは本当に太っ腹だと思う。
そしてここら辺で教会の管理者に、「帽子は脱いで下さい」と注意された。
たくさんの装飾品がピカピカしている。
そしてその1つ1つがとても美しい。
それらが何を表しているものかはよく分からないが、きっと何かの意味があるのだろう。
それと祭壇もたくさんあって、どれもが見事に飾られている。
思ったより信者や観光客の数が少ない。 今日が平日だからか、それとも時間帯の問題か、季節の問題か。
なんにせよ人が少ないとのんびり見れるし、写真もスムーズに取れるから最高だ。
さっきの団体客がいなくてよかったぜ。
そしていよいよイエスが生まれたとされる洞窟へと降りる事にする。
そこは↓の2枚目の写真の階段を降りるだけ。
続きは次回。 |