フレンチ・クオーター(The French Quarter)は、ニューオーリンズで最も歴史があり有名な地区。ヴュー・カレ (Vieux Carré、フランス語で「古き街-Old Square」の意) としても知られる。一般的に「The Quarter」と呼ばれる。
パレードの行われていた通りの路地を入って少し歩くと、そこは別世界のようだった。
華やかで大賑わいで、人間が凝縮されていた大通りとは違い、ロマンチックで高級感のあるエレガントな雰囲気の通りが広がっていた。
こういう所は男同士で歩くより、女性と手を繋ぎながら歩くもんだ・・・。
アメリカに来る前に日本で調べたニューオーリンズの名所には、どのサイトも必ずと言っていいほどこのFrench Quarterが掲載されていた。
ホテルからも徒歩圏内にあるうえに、この光景。
来てよかったとすぐに思った。
ここでは路肩で様々なパフォーマーやストリートミュージシャンが、素敵な音色を奏でていた。
French Quarterに入ってすぐに目に付いたのが管楽器の楽団。
こういうのは本当にアメリカらしいと思う。
しばらく時間も忘れて聞き入ってしまった。
ふと我に返り親父を探すと、他の外人と一緒になって踊っていた。
充分に堪能したのでFrench Quarterのさらに奥へと進もうとしたところ、後ろから鳴り響いてきた聖者の行進。
すると親父は再び楽団の元へと戻っていった。
予想していた事だから別に構わない。
ちなみに聖者の行進の豆知識。Wikiより。
元々は、アメリカ合衆国の黒人の葬儀の際に演奏された曲。
ニューオーリンズでは、埋葬に行くときには静かな調子で、埋葬の時は悲しげに。埋葬が終わると、この曲でパレードをして帰っていく。
NFLのニューオーリンズ・セインツのオフィシャルソングにもなっている。
みんなが耳にした事のあるこの曲は、なんとニューオーリンズ発祥だったようだ。
そして俺の渾身の1枚の写真がこれ。
↓の写真の1枚目。
何気ないFrench Quarterの写真だけど、まるでおもちゃのように可愛らしく、絵画のように美しい。
昼はまたきっと違う顔を見せるのだろうが、夜間のこの景観には絶対に勝らないだろう。
ビールを飲みながら歩いていたので、少し前から膀胱の限界が近づいていた。
トイレがありそうなデパートや博物館などなく、立ちションをする物陰もない。
正確には物陰くらいはあるのだが、どこも人がいる。
こうなると飲食店で用を足すしかなく、小心な俺としては食わずにトイレだけ借りるという事は不可能だった。
大通り沿いにあるハンバーガー屋に入る。
ひょっとしてトイレだけ済ませる事はできないか? と淡い期待を抱いたが、トイレに向かう2階の階段前には、ちゃんと検察官らしきバイトがいた。
やはり祭りの最中という事もあってか、トイレだけを借りる事はできないようだ。
写真の見た目で選んだハンバーガーとコーラを注文。
ロースのような肉とペッパーマヨネーズが挟んでありかなり美味しかった。
しかし店員の黒人女の接客は最低だった。
ハンバーガーは美味かったが、これが夕食となってしまうと思うととても残念だ。
そろそろホテルに引き返す事にするが、パレードのせいで道を横断なくてかなり遠回りする事になる。
途中で商店に寄り酒を購入。
狭い路地に入っても人の減る気配がない。
理由はすぐに分かった。
パレードの山車がこの路地に入ってきているからだ。
これはチャンスだ。
さっきの大通りだと山車までの距離がかなり遠く、声はおろか顔さえも見えないくらいに離れていたが、この狭さなら通りの前面にいれば確実に声も顔も届く。
しばらく待って山車が目の前を通っていく。
皆と同様に俺も精一杯手を伸ばし、ビーズをちょうだい! というアピールをする。
そして偶然にも、右上の方から飛んできたビーズをキャッチする事ができた。
やったぜ!!
ふと親父を見ると、なぜかまたビーズが増えている。
一体いつの間に取ったのか・・・。
聞いてみると、山車に乗っている人に向かって、「Came from Japan!!」と何度も大声で叫んだとの事。
なんという大胆な奴だ。
ホテルの近くまで戻ると、今度は別のホテルの宿泊客らしき人がバルコニーからビーズを投げてくれた。
これまた親父がキャッチする。
そして通行人のおばさんも親父にビーズをかけている。
何だかテンションが上がってきた。
そしてホテルの部屋に戻り、ビールを飲みながら日記を付ける。
「ニューオーリンズの祭り」がこんなに楽しいとは思わなかった。
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