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 11.04.28 社会主義の途上国

Lý Thái Tổ

National Bankを背に正面を向くと、何やら東屋のようなものが見えた。
次はそこに向かって歩いてみる。
どうやらここも公園のようで、子供達がサッカーボールを蹴っていた。

それにしてもホアンキエム湖の北側を除く周辺は、ここがベトナムだと感じさせないくらいに整備されている。
湖の北側には自分が泊まっている宿があるのだが、その雑多な感じはさながらホアンキエムのダウンタウンといった感じだ。

東屋を通り過ぎると大きな像が右手に見え、整備された歩道の階段を上ると像の裏側に出た。

Lý Thái Tổ Lý Thái Tổ

正面に周ってみると像には台座があってその足元には献花台のように綺麗な花が飾られており、台座には像の人物の名前と生没年が記載されていた。
「Lý Thái Tổ 974-1028」
この人物が誰なのかなんてさっぱり分からない。 ここに辿り着いたのも偶然だ。

帰国してから調べてみるとかなり立派な人物のようで、李朝(ベトナムに1009年-1225年まで存在した王朝)を建国した君主らしい。
ではここで恒例のWikiコピペ。

古法村の人で、先祖は中国の福建省からの移民といわれる。彼は万行法師に師事して仏法を学び、黎龍鋌のときに左親衛殿前指揮使に任ぜられた。1010年、かれは前黎朝の跡継ぎが幼少なのに乗じて帝位を簒奪し、順天と改元して李朝を建国した。尊号を奉天至理応運自在聖明龍見睿文英武崇仁広孝天下太平欽明光宅章明万邦顕応符感威震藩蛮睿謀神功聖治則天道政皇帝といった。かれは昇龍城(現代のハノイ、もとの名を大羅城といい、唐代の高駢の治所であった)に遷都して、親族を分封し、李仏瑪を立てて太子とし、仏教を国教とした。

と書いてある。
李朝についての詳細はコチラ。
ちなみにLý Thái Tổは通りの名前にもなっている。

Lý Thái Tổ Lý Thái Tổ

ここには観光客も多く訪れており、皆写真を撮っている。
Lý Thái Tổ自信が華僑の為か、ここにいる観光客も華僑が多いようだ。
その為紙銭用の甕まであり、中は灰でいっぱいになっていた。
※ 紙銭とは、葬祭用に模造された紙幣の事で、祭事や葬式の時に燃やされる。
意味は、死んだ後も天国へ行ってお金を使えるように、って感じ。

Lý Thái Tổ Lý Thái Tổ

この公園を進んでいくと、ホアンキエム湖の東側真ん中付近に出た。
ちょうどよかったので湖の東側を歩きながら北上し、一旦宿へ戻って仮眠してから夜飯でも食べに行こうと考えた。

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