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 06.11.5 第5回「キモス!廃線散策!!」

太平洋セメント 埼玉工場専用線

西大家貨物線(にしおおやかもつせん)は1963年(昭和38年)に開業し、西大家信号所で越生線と分岐し、日本セメント埼玉工場内(現・太平洋セメント埼玉工場)の日高を結んでいた。全線電化である。東上線の高坂駅から分岐する高坂構外側線経由で秩父鉱業東松山採掘場の粘土を仕入れ、日本セメント埼玉工場で生産した製品を下板橋セメント包装所へ輸送することを目的としていた。東武鉄道所属のED5010形電気機関車が専用線に直接乗り入れていた。東上線の貨物廃止でバラ車等によるトラック輸送に切り替わり、1984年(昭和59年)に廃止となった。

同工場への専用線は、八高線・川越線高麗川駅から分岐するものも存在し、1999年(平成11年)まで使用されていた。

廃線跡は大部分が道路用地として使われている。

2006年11月5日(日)晴れ
今日は埼玉県日高市に行ってまいりました。
JR川越線 高麗川駅~東武越生線 西大家駅。
平成11年9月に廃止になった、太平洋セメントの埼玉工場専用線です。
それでは一緒に楽しみましょう。

まずはJR高麗川駅。
駅前はロータリーになっていて綺麗に整備されてるけど、何も無いド田舎です。
僕はこういう場所には住めません。

ここから徒歩5分くらい線路沿いを歩けば廃線跡に辿り付けるのですが、いつものように全く逆に向かってしまい、結局30分も無駄歩きをしてしまいました。。。

JR八高線と川越線の間に廃線があり、しばらくは3本並んで線路が伸びています。
専用線への分岐は八高線の線路からで、その1本がそのまま太平洋セメント工場へと向かっています。
なので踏切からダッシュで廃線内へと入りました。
しかしバラストの上をダッシュしたおかげで、左の足首を捻挫しました。 痛い。

ちょうど写真の右側に川越線、左側に八高線が走っています。

ここから太平洋セメント工場まで線路が伸びています。
そして車止標識が!!

まだ廃止からそんなに年月が経っていないので、線路はほぼ完全な形で残っています。
うれしー!

一度切れたレールが再開してます。
レールはカーブを描いて太平洋セメントまで進んでいきます。

右手に住宅が並んできます。
左手には畑があります。
雑草の生え具合が素晴らしいですね。

一番最初の踏み切りに差し掛かります。
遮断機は無いけれど、警報機は完全な形で残っています。

この廃線は、踏み切り部分のレールはアスファルトで埋めているのではなく、完全撤去しています。
道路を越えてから再び線路が再開されます。

線路の両側が住宅地になってきました。
ここまで完全な形で残っていると、嬉しくてテンションが上がりっぱなし。

2個目の踏み切りに差し掛かりますが、今回は警報機も遮断機もありません。

さらにカーブしながら線路は進んでいきます。
現役時代は1日に何本のセメント列車が行き交ったのでしょうか。

3個目の踏み切りです。
ここには警報機がしっかりと残っています。

こら! こんな所に車を止めるな!! 何て奴だ。

車に邪魔されながらも、線路は真っ直ぐ住宅の間を走っていきます。

左に見える標識は「警笛吹鳴標」といって、警笛を鳴らすように支持する標識なのですが、こんな直線で住宅の中を警笛を鳴らして走っていたのでしょうか?

写真中央上の煙突みたいなものが太平洋セメント工場です。

猫です。
少し離れた所からズームにして写しました。
もう電車は2度と来る事は無いので、猫も安心して居眠りできます。

農道の踏み切り?
耕運機みたいなものが横切っていたのだろうか。

先に進むとレールが無くなり枕木だけになりました。
なぜか車止めのような枕木も横たわっています。
その先は市道で線路は切れています。

写真上に見える柵の向こうは、太平洋セメント工場の構内へと続いています。
工場はもう目の前です。

市道の先は既に線路が撤去されています。
線路跡の敷地には家が建っていたりもしました。

線路は無くなっていますが、線路跡というのは一目瞭然です。

工場のパイプのようなものがピューンと伸びていますね。かなり広大な工場です。
もし廃墟にでもなったら、廃墟マニアにはたまらないでしょう。

工場内へと続いていた踏み切り部分は、線路が撤去され駐車場になっていました。
廃線から数年は貨物ヤードへと続いていたようですが、現在のフェンスの向こうは見る影もありません。 残念!

ここで高麗川からの廃線はおしまいなので、今度はここから工場の北側まで30分かけて歩きます。
疲れた…。

30分後、工場から伸びる素晴らしい築堤に出会いました!!
高さ6、7mといったところでしょうか。 とても立派な築堤で、いつ電車が走って来てもおかしくありません。
しかし雑草や藪が生い茂り、上るにはかなり苦戦を強いられそう。

と、いいつつも一気に登りました。
そこにはやっぱり線路が! しかも2本も伸びています!!

しかし築堤上は荒れ放題で、ズボンに雑草の実や種がびっしりとこびり付いてしまいました。

複線になっているので結構広いです。
写真右上に見える木々の手前で、1本の線路は終わっています。

車止めがあります。
それにしてもズボンがすごいことに…。

それではさらに奥に続いている、もう1本の線路を追ってみましょう。
もうズボンに付くものは諦めました。
つい数時間前までは東京23区内にいたのに、なんとも無様な格好に…。

単線になって続いていきますが、有刺鉄線が張り巡らされて進む事ができません。
が、こんなものは足尾に比べれば朝飯前です。
しかしかなり立派な築堤。 写真でも分かるように、民家と同等か、それ以上に高い位置にあります。

単線になった線路を進んでいきます。
ここから先はさらに力強く雑草が伸びています。

築堤は続いていきますが、線路はここで終わってしまいました。
見難いかもしれませんが、枕木の車止めがあります。

さらに築堤を進みます。
現役当時は西大家駅まで続いていたわけなので、もちろんこの先も線路はあったはずです。
この写真を見れば一目瞭然です。

さらにさらに進みます。
さっきから写真に写っているパイプは今でも使っているのでしょうか?

もうすぐ築堤も終わります。
そしてパイプも終わります。
パイプは直角に真下に向かって下りています。
それにしても高い。

ついに終わりです。
ご覧ください。 民家より全然高い!!
この高さを今度は下りるのか…辛い。

上るより下りる方が厳しいんですよね。この写真を見れば高さが分かるはずです。

そして待っていたのは、ズボンに付いた雑草の種地獄です。 こんな状態じゃ山手線に乗れん!!

本来は西大家駅まで続いていた廃線ですが、ここから先は完全に廃線はなくなり、線路の跡形も無いのでレポは終わりです。

これは苦労して歩き回り、疲弊しきった俺の姿です。

帰りは越生線の西大家駅から帰るはずが、迷いまくって武蔵高萩に着きました。
ちなみに先ほどの築堤の終わりの部分から10km弱歩いています。 死ぬかと思った。
晴海の時は近くに色々駅があったけれど、ここではド田舎過ぎてタクシーすら走っていない。

でも今回の廃線散策は、大部分の線路がそのまま残っていたので大満足でした。
ではまたいつか。

帰りは越生線の西大家駅から帰るはずが、迷いまくって武蔵高萩に着きました。
ちなみに先ほどの築堤の終わりの部分から10km弱歩いています。 死ぬかと思った。
晴海の時は近くに色々駅があったけれど、ここではド田舎過ぎてタクシーすら走っていない。

でも今回の廃線散策は、大部分の線路がそのまま残っていたので大満足でした。
ではまたいつか。

補足:2015年現在の線路跡は、前半の住宅地の中を走る部分は全て遊歩道になってしまってます。
工場北側の築堤は、Googlemapを見る限り残ってますが、線路も残っているかは不明です。

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